手渡された血液検査の結果用紙。そこに並ぶ「H(High)」の文字を見て、心臓が早鐘を打ったのではないでしょうか。
診察室で先生に相談しても、「うーん、まだ薬を飲むほどではないですね。少し様子を見ましょう」という返事。その場では頷いたものの、帰宅して改めて赤い数値を見ると、「様子を見ている間に、病気が進行してしまったらどうしよう…」と、不安で眠れない夜を過ごされているかもしれません。
特に、愛犬が8歳というシニア期に入っているなら、その不安はなおさらでしょう。
でも、どうか自分を責めないでください。そして、安心してください。 獣医師として断言しますが、「様子見」は決して「見放された」わけでも、「何もしなくていい」わけでもありません。
この期間は、お薬に頼る前に、毎日の食事と習慣を見直すことで数値を改善できる「黄金の期間(ボーナスタイム)」なのです。
この記事では、難解なアルファベット(ALTやALP)が実際に愛犬の体の中で何を起こしているのかを分かりやすく解説し、今日からキッチンの冷蔵庫にあるもので始められる「肝臓を休ませる食事ケア」について、具体的に紹介します。
不安な「待ち時間」を、愛犬との絆を深める「攻めのケア時間」に変えていきましょう。
検査結果の「H」を読み解く|ALTとALP、どちらが高いかでリスクは変わる

まずは、お手元の検査結果を用意して、冷静に数値を見ていきましょう。 肝臓の数値と一言で言っても、実は項目によって「肝臓のどこが、どうなっているのか」という意味が全く異なります。
特に重要なのが、「ALT(GPT)」と「ALP」の違いです。これらはセットで語られがちですが、体の中での振る舞いは別物です。
1. ALT(GPT):肝細胞の「悲鳴」
ALT(GPT)は、肝臓の細胞そのものが壊れた時に、血液中に漏れ出してくる酵素です。
イメージしてみてください。肝臓という工場の中に、ALTという作業員がたくさんいます。工場が火事になったり(炎症)、壁が壊されたり(破壊)すると、作業員が外(血液中)に逃げ出してきますよね。これがALTの上昇です。 つまり、ALTが高いということは、現在進行形で「肝細胞がダメージを受けている」という、直接的なSOSなのです。
2. ALP:体の中の「渋滞」と「ストレス」
一方でALPは少し複雑です。 ALPは、胆汁(消化液)の流れが悪くなった時(胆泥症など)や、副腎皮質ホルモンの影響を受けた時に上昇します。 つまり、ALPの上昇は、必ずしも肝臓そのものの破壊を意味するわけではなく、「胆汁の通り道が渋滞している」サインや、「体や心のストレス反応」である場合も多いのです。
特に、プードルやシュナウザーといった犬種は、体質的にALPが高くなりやすい傾向があります。また、歯周病や骨の異常でも上がることがあるため、ALP単体が高い場合は、即座に「重篤な肝臓病」と結びつける必要はありませんが、全身のどこかに不調がないかを探るサインとなります。

獣医が「様子見」と言う本当の理由と、その間に進む「沈黙の病状」
では、なぜ数値が高いのに、獣医師はすぐに薬を出さず「様子を見ましょう」と言うのでしょうか。
それは、肝臓の数値が一過性の要因で上がりやすいものだからです。
例えば、検査の前日に少し脂っこいおやつを食べた、あるいは病院に来るのが怖くて極度の緊張状態にあった、といった理由だけでも、数値は一時的に跳ね上がります。 私たち獣医師は、その数値が「一時的なブレ」なのか、それとも「持続的な病気」なのかを見極めるために、あえて時間を置くのです。
「様子見」は「何もしない」ではありません
しかし、ここで誤解してはいけないのが、「様子見=何もしなくていい」ではないということです。
特に8歳を超えたシニア犬の場合、肝臓の再生能力(自己修復力)は若い頃に比べて確実に低下しています。 若い頃なら、多少の暴飲暴食をしても肝臓が自力で回復できましたが、シニア期に入るとそうはいきません。
もし今回の数値上昇が、長年の食生活の積み重ねによる「肝臓の疲れ」だとしたら? 「様子見」の1ヶ月間、今まで通りのおやつや食事を与え続けることは、疲れて悲鳴を上げている肝臓に、さらにムチを打つことになりかねません。
この期間こそ、肝臓への負担を徹底的に減らし、数値を下げるための「生活改善」を試す絶好のチャンスなのです。
✍️ 一言アドバイス
【結論】: 「様子見」と言われたその日から、まずは**「おやつ」を完全にストップ**してみてください。
なぜなら、多くのケースで数値上昇の原因は、飼い主さんが良かれと思って与えている「ジャーキー」や「歯磨きガム」に含まれる酸化した脂質や添加物にあるからです。私の診療経験でも、おやつをやめただけで翌月の検査数値が正常に戻ったワンちゃんは数えきれません。「かわいそう」ではなく、「体を休ませてあげる優しさ」だと考えてみましょう。
【UVP】今日から変える!肝臓を休ませる「お助け食材」と「卒業すべきおやつ」
では、具体的に明日からの食事をどう変えれば良いのでしょうか。 難しい療法食をすぐに買う必要はありません。まずは、今ある食事から「肝臓の敵」を排除し、「味方」を加えることから始めましょう。
肝臓の敵:「酸化した油」を断つ
肝臓にとって最大の負担となるのが、質の悪い脂質です。 特に、開封してから時間が経ったドッグフードや、ジャーキーなどのおやつに含まれる酸化した油は、肝臓に直接的な炎症(酸化ストレス)を引き起こす要因となります。
肝臓の味方:「良質なタンパク質」と「解毒サポート」
肝臓の修復にはタンパク質が必要ですが、アンモニア(毒素)を多く出す「質の悪いタンパク質」は逆効果です。消化吸収が良く、アミノ酸バランスの整った食材(白身魚や鶏むね肉など)を選びましょう。
以下に、今日から使える「食材仕分けリスト」を作成しました。冷蔵庫の中身と照らし合わせてみてください。
📊肝臓をいたわる食材 vs 負担をかける食材リスト
| 判定 | 食材・食品例 | 理由とアドバイス |
|---|---|---|
| 🙆♀️ 積極的におすすめ | 白身魚(タラ・カレイ) 鶏むね肉(皮なし) |
脂肪分が少なく、肝臓の修復や再生に必要な良質なタンパク質が豊富。茹でてトッピングとして少量使うのが基本。 |
| 🙆♀️ おすすめ | 大根、ブロッコリー しじみ(煮汁のみ) |
解毒作用をサポートする成分を含む。細かく刻んで加熱し、消化しやすい形で与えるのがポイント。 |
| ⚠️ 注意が必要 | ささみ | 低脂肪で使いやすいが、リン含有量がやや多い。シニア犬や腎臓への配慮が必要な場合は量を控えめに。 |
| 🙅♀️ 卒業(中止)推奨 | ジャーキー、干し肉 チーズ・乳製品 |
高脂肪・高塩分になりやすく、加工過程で脂質が酸化している可能性が高い。肝臓への負担が大きいため中止を推奨。 |
| 🙅♀️ 卒業(中止)推奨 | 人間の食べ物(揚げ物など) 歯磨きガム(一部) |
消化が悪く、添加物を含む製品も多い。口腔ケアはガムに頼らず、歯ブラシで行う方が安全。 |
よくある質問:ささみはOK?サプリは必要?
診察室で飼い主さんから特によくいただく質問に、ここでお答えしておきます。
Q1. 「ささみ」は肝臓に良いと聞きましたが、毎日あげても大丈夫ですか?
A. 基本的には良い食材ですが、「あげすぎ」には注意が必要です。 ささみは低脂肪で優秀なタンパク源ですが、リンというミネラルが多く含まれています。シニア犬は肝臓だけでなく腎臓の機能も低下してくる時期ですので、リンの過剰摂取は腎臓の負担になることがあります。 肝臓ケアとしては、ささみよりも「鶏むね肉」や「白身魚」の方が、ミネラルバランスが穏やかでおすすめです。もしささみを与える場合は、茹で汁を捨てて(リンはお湯に溶け出します)、身だけを適量与えるようにしましょう。
Q2. ネットで見た「肝臓サポートサプリ」を飲ませた方がいいですか?
A. まずは「足し算」よりも「引き算」から始めましょう。 サプリメントはあくまで補助です。原因となっているかもしれないおやつや、酸化したフード(引き算)をそのままにして、サプリ(足し算)をしても、効果は半減してしまいます。 また、肝臓が弱っている時にあれこれとサプリを摂取すること自体が、解毒の負担になる場合もあります。まずは1ヶ月間、余計なものを与えないシンプルな食生活を心がけ、それでも数値が改善しない場合に、獣医師と相談してサプリを取り入れるのが最も安全な手順です。
愛犬との10年後を守るために、今できること
検査結果の「H」マークは、愛犬からの「ちょっと疲れちゃったよ」という小さな声です。 病状が悪化して症状が出る前に、この声に気づけたことは、実はとても幸運なことなのです。
「様子見」と言われた今日からの1ヶ月間。 まずは、おやつを一切やめてみる。ジャーキーの代わりに、愛情を込めて茹でたキャベツや白身魚をトッピングしてみる。 そんな小さな変化が、8歳の愛犬の肝臓を休ませ、驚くほど数値を改善させることがあります。
次回の検査日をカレンダーに書き込み、そこまでの期間を**「愛犬のためのデトックス期間」**と決めて、一緒に取り組んでみませんか? 1ヶ月後、検査結果の用紙を見て、あなたがホッと胸を撫で下ろす笑顔が見られることを、心から願っています。
[参考文献リスト]
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<cite>犬と猫の肝胆道系疾患の診断と治療 – 日本獣医師会 雑誌 2023</cite>
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<cite>Hepatic Disease in Small Animals – MSD Veterinary Manual</cite>
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<cite>犬の臨床栄養学 – ライフステージ別食事管理 – ペット栄養学会誌</cite>

